秋の再会
聡がフランスに行ってから、三年がたった。
フランス語で、秋がなんていうか忘れてしまったけれど、今日みたいにちょっと寒くて、空が青く高く澄んでいた日に、聡は旅立った。
聡、元気かな。
ネットでテレビ電話したり、季節のグリーティングカードを送ったりして、遠距離という割にはそれほどさみしくはなかった。
それでも何日か連絡がないと、聡を思ってしまう。
聡と会ったのは、いわゆる共通の友人の紹介だ。
当時好きだったアーティストのライブのチケットがペアで当たったのだが、友達の予定がつかず、聡が一緒にいくことになった。
「最近好きになり始めたんだけど、結構いいよね」
にわかファンか、まぁいい、一人で楽しんでいよう。
そんなことを思っていた気がする。
昔から人見知りだった私は、聡のことを聞いたりしなかった。
というより、興味がなかった。
それでも、聡は結構頑張ってくれて、私からいろんな話を聞き出そうと、あの手この手で話しかけてきた。
しかし、ライブが始まると、この努力は実らないと悟ったか、話しかけなくなった。
私もライブに熱中し、聡のことはほぼ忘れていた。
ライブが終わると、二人でどこにいくでもなく、すぐに帰った。
聡とは、もう会うこともないだろうと思って、アドレスすら交換しなかった。
あれは運命だったのか。
高校を卒業した私は、バイトをしようと思い、大学への通学路にあるケーキ屋さんに応募した。
以前から目を付けていたお店で、そこのガトーショコラが美味しくて、いつかこのお店で働きたいなぁと思っていた。
「はじめまして、面接係の青森聡です。」
そこに、聡がいた。
「あ...、あの、宮田小梅です。よろしくお願いします。」
「小梅ちゃん?もしかして、○○のライブ、一緒に見に行った?」
「あ、はい、そうです!覚えててくれたんですね。」
「最初見た時はわからなかったよ。懐かしいなー。」
「そうですね。」
あとから聞いたら、やはり名前で気づいたらしい。
雑談を少しして、採用が決まった。
喫茶店も兼ねたケーキ屋さんだったから、私は主に給仕にまわった。
たくさん稼ぎたくて、授業が終わってからは、ほとんど毎日働いた。
「よく働くね。」
「はい。たくさん稼ぎたいんで。」
「そっか。」
聡もあまり他人に干渉するタイプではないから、シフトが重なっても、特別会話をすることはなかった。
ある日、お店の新作の試食会に誘われた。
「私なんかが行っていいんですか?」
「まぁね。正社員の子が行った方がいいんだけど、都合がつかないみたいで。」
「そうですか。」
「でも、僕もついてくし。ケーキの食べ放題だと思って、気軽にきていいから。」
「あ、はい。」
果たしてケーキは美味しかった。
しかし、感想をいちいち書いたり言ったりするのが面倒だった。
全体としては疲れてしまった。
「どう?疲れた?退屈?」
「あの、とっても美味しかったです。だけど、ちょっと疲れちゃいました。」
「だよね。そんなに感想聞かれても、答えられないよね。」
「はい、でも、他の方がすごく適切なことを言ってて、感心しました。」
「そう?何回もいると、また同じこと言ってんなーとか、思うようになるよ。」
「え、そうなんですか?」
「うん。ところでさ、今日まだ時間ある?」
「え、あ、ありますけど。」
「よかったら、ちょっとお店よってかない?」
「あ、はい。なんのお店ですか?」
「何でも屋」
「え?」
着いたのは、ドンキだった。
「今日のお礼。給料は別に出るけど、好きなの買っていいよ。」
「ありがとうございます。なんか申し訳ないです。」
「いや、いいって。決まったら言ってね。」
「はい。でも、何でドンキなんですか?」
「激安の殿堂」
「・・・。」
やたらコスプレを勧めたり、成人向けアイテムを物色しようとしたり、少し様子が変だった。
これもあとで聞いた話だが、聡は、私が必死にケーキについて、あることないことしゃべっていた時、隣で開催されていたワインの試飲会に、ちゃっかり参加していたらしい。
そこでちょっと飲みすぎて、軽く酔っ払っていたのだ。
そんな事情を知らない当時の私は、慌てて買うものを決めてレジに並んだ。
駅で切符を買い、さぁ帰ろうとしたとき、聡がゴソゴソとドンキの袋を開けた。
中から出てきたのは、あろうことかさっき勧めたコスプレだった。
「いつ買ったんですか。」
「意外に冷静。」
「いつ買ったんですかって聞いてるんですよ。」
「あー、ごめんね、怒ってる?」
「怒ってないです!」
「そうだね、怒ってないね。」
何がおかしいのか、くすっと笑った。
「さっきね、レジて並んでた時、隣の列で。」
「そうですか。」
「いいじゃん、これ絶対似合うと思うんだけどな。」
「着ませんから。帰りましょう。」
「せっかく買ったんだし。」
「そうですね。彼女さんにでも着せてあげてください。」
「今俺、彼女いないもん。」
「未来の彼女です。」
「ここに似合いそうな女の子がいるのになー。」
「残念でしたね。またの機会がありますよ。その時までとっておいてください。」
「ねぇ、小梅ちゃん。」
いきなり低い声で話されて、びくっとした。
「何ですか。」
「そんなにこれ着るの、嫌?」
ストレートに聞かれると、困る。
「嫌では、ないですけど。」
「ほんと?」
「でも着たくもないです。」
「嫌じゃないのなら、ぜひきて欲しいな!小梅ちゃんのために買ったんだから。」
うん、と言わざるを得ない気がした。
実際、聡は結構かわいい顔をしているのだ。おねだり上手なわけだ。
そんなに頼まれて、断る理由もない。
この一回だけ、という約束をして、聡の家にいくことにした。
聡の家は、一階が塾になっているアパートの三階だった。
部屋は、特にこれというものはなかったが、本棚があったからちらっと覗いてみると、お菓子作りの本ばかりだった。
「お菓子作りの勉強、してたんですね。」
「ん?あぁ、そうだよ。本見てていいよ。今お茶出すから。」
「いや、いいですよ。それより、さっさと着てしまいましょう。」
「え?」
「さっきの..コスプレですよ。」
「あ、うん。」
実はこの時、聡の酔いは醒めはじめていて、何してるんだろう、俺、状態だったらしい。
お茶でも飲んで、落ち着きたかったのは聡の方だったのだ。
そこでふと我に帰り、何事もなかったかのように私を送り返すつもりだったらしい。
墓穴をほったのは私の方だった。
聡の蘇りかけていた理性をぶち壊してしまった。
「えっと、俺、トイレにいるから。着替え終わったら言って。」
「はい。」
よくわからないながら、頑張って着た。似合っているのかすらわからない。
コスプレなど、高校の劇の衣装ぐらいの経験値だ。
もはや恥ずかしさすら覚えなかった。
「聡さん、着ましたよ。」
聡が私を見た瞬間、射抜くような眼差しに変わった。
そのままずっと凝視されたままだった。
「あの、聡さん?」
「あ、いや、よく似合ってる。」
「ありがとうございます。大丈夫ですか?」
「うん。」
「じゃあ私、そろそろ帰りますね。」
「待って。」
私が疑問を口にする前に、聡が言った。
「もうちょっと見ていたい。」
なかなか勇気あるセリフだ。
そして私はストレートに弱い。
「じゃああと、30分だけ。」
「なんか、出張メイドみたい。」
「営業じゃないですよ。」
「じゃあ、なんで居てくれるの?」
「帰っていいんですか?」
「だめ!ごめんごめん!」
気の向くままに雑談し、聡が作ったというお菓子を食べた。
なかなか美味しかった。
「私、ガトーショコラが好きなんですよね。」
その時、聡の表情が変わった。わずかに緊張が見えた。
「お店の?」
「はい!あれ食べたくて、入ったんですよ。」
「そうなんだ。」
ふいに、聡が視線をそらした。
「あのさ、あれ、作ったの、俺なんだ。」
「え、そうなんですか。知らなかったです。」
「うん、そう。」
やばい。もしこれで、知ってて言ったと思われたらどうしよう。
わざとらしい演技で持ち上げておいて、告白されるのを誘っているようにしかみえない。
だいたい、男の人の家に上がりこんで、コスプレまでして、お茶のんでまったりしてるなんで考えられない。
これではまるで...!
「あ、あの、一応言っておきますけど、知ってて言ったわけじゃないですからね!」
うん?というように、聡がこっちを見た。
「どういうことだ?」
私は慌てて言った。
「だって、なんか、誘ってるみたいじゃないですか。」
「誘ってる?」
「いや、その、なんというか、告白されるのを、誘ってる、みたいな。」
「小梅ちゃん...」
「何でもないです!私、帰ります!」
服を持って、着替えにトイレに向かおうとした時、スカートの裾をつかまれた。
「待って」
振りほどいて、行けばよかった。なのに、できなかった。
「おかしいと思わない?自分の行動が。」
「何か気に障るようなことしましたか。だったら、謝ります。」
「そうじゃなくて。」
聡はスカートから手を離した。それでも、私は動かなかった。
「あんなに嫌がってた、コスプレを自分から着たいとか、言い出したりして。」
「あれは!」
「ちょっと聞いて。」
「・・・はい。」
「小梅ちゃん、そんなに、誰の人の家でもついて行って、コスプレ着たりするの?」
「しないですよ!そんなこと。」
「そうなんだ、じゃあ、俺のところに来てくれたのは、特別?
それとも、気まぐれ?」
何だ、何が言いたいんだ。
「思わせぶりなこと言っておいて、帰ろうとするし。放置が好きなの?」
何言ってるか、全然わからない。これ全部、私のこと?
「いいかげん、気づきなよ。ばれてるよ?」
「な、何のことですか?」
「好きなんでしょ、俺のこと。」
いつからだろう。
聡の行動や、言うことが気になって、寝る前に思い出して、その行動の意味を勝手に解釈して、繋げていったりして。
そんなことしても、しょうがないのに。
聡は何も気づかないふりをしていたのか。
この私が、必死に押し隠そうとしていたものを。
私も、なぜ隠したりするのだろう。恥ずかしいからか。
それとも、叶わぬ恋だと思っているからか。
まぁ、どうでもいいか。
ばれてしまったのなら、もう隠すこともない。
素直に認めて、また新しく好きな人を見つけよう。
この人は、私をからかっているだけなのだから。
「もし、聡さんのことをたくさん考えて、聡さんがどんなこと思ってるのか知りたくて、それで、聡さんがこっち向いて、何かしゃべってるのをみると、なぜか幸せになってしまうこの気持ちが、好きだというなら、私は、聡さんのことが好きです。」
聡は、きょとんとした顔で私をじっと見つめたあと、ようやく言っていることがわかったのか、ゆっくり、ほほ笑んだ。
「まわりくどいなぁ。」
そして、こうやればいいんだよ、と私に手を伸ばす。
そっと抱きしめて、耳元でささやく。
「俺も、小梅ちゃんのこと、好き。」
まぶたを閉じた。
聡の体温と、鼓動を感じる。
私より少し温かくて、ゆっくりしていた。(お酒のせいだ。)
聡の匂いもした。やわらかくて、好きになれそうだ。
「知ってましたよ。」
「そう?」
私はするりと、聡から抜け出した。
「はい。だから、私を連れ込んだりしたんでしょ?」
「まぁね。でも、小梅ちゃんが僕を好きなほどではないけどね。」
「私は好きな人に、コスプレを着せる趣味はないです。」
「俺も、ストーカーまがいに小梅ちゃんのことずっと考えてたわけじゃないし。」
「じゃあ、私のこと嫌いですか?」
「小梅ちゃん…」
「嘘ですよ。」
こんなの、長く続くわけない。幸せなのは今のうちだ。
だったら、思い切り楽しんでおこう。
ケーキもたくさん作ってもらおう。そしてあわよくば、技術も盗んでおこう。
「長い縁になるか分からないですけど、どうぞよろしくお願いします。」
「こちらこそ。至らないところはあるかもしれないけど、仲良くやってこうね。」
二人は顔をそらして、なんとか相手のすきをつくことを考え始めた。
結局、似たもの同士なのだった。
フランスで、綺麗な女の人は見つかったのだろうか。
聡が、寂しくない?と、旅立つ前に聞いて来た時、私が、全く寂しくない、と答えたから、聡は、じゃあ俺は寂しくなりそうだから、フランスで金髪美人とたくさん遊んでくる、と言っていた。
「心配してくれてありがとう。でも、私より聡の好みの女の人って、いないと思うなぁ。」
「俺の好み、変わるかも。」
「私の応用範囲内だったら、変わっていいよ。」
「保証はできない。」
「じゃあ、好みが変わったら、早めに連絡してね。」
「そうする。」
聡が、ふっとほほ笑んだ。
「いっぱい連絡するよ。小梅ちゃんが俺のこと、忘れないように。」
「忘れないよ。」
「忘れちゃうよ。ライブにいった時は、すっかり忘れられた。」
「あれはまだ付き合ってなかった。」
「そうだけど、あんなことが再び起らないよう。」
「そんなに傷ついてた?」
「事故だったと信じた。」
「どんな事故だよ。」
今日もまた、ケーキ屋さんで働く。
聡がいつ帰って来てもいいように、テーブルの花はコスモスを絶やさない。
聡の、秋の好きな花だ。
チリン、と鐘がなって、お客さんが入って来た。
テーブルを拭いていた私は、顔をあげていらっしゃいませ、と言おうとした時、
「小梅ちゃん、ただいま!」
にっこり笑った、聡がいた。
聡がフランスに行ってから、三年がたった。
フランス語で、秋がなんていうか忘れてしまったけれど、今日みたいにちょっと寒くて、空が青く高く澄んでいた日に、聡は旅立った。
聡、元気かな。
ネットでテレビ電話したり、季節のグリーティングカードを送ったりして、遠距離という割にはそれほどさみしくはなかった。
それでも何日か連絡がないと、聡を思ってしまう。
聡と会ったのは、いわゆる共通の友人の紹介だ。
当時好きだったアーティストのライブのチケットがペアで当たったのだが、友達の予定がつかず、聡が一緒にいくことになった。
「最近好きになり始めたんだけど、結構いいよね」
にわかファンか、まぁいい、一人で楽しんでいよう。
そんなことを思っていた気がする。
昔から人見知りだった私は、聡のことを聞いたりしなかった。
というより、興味がなかった。
それでも、聡は結構頑張ってくれて、私からいろんな話を聞き出そうと、あの手この手で話しかけてきた。
しかし、ライブが始まると、この努力は実らないと悟ったか、話しかけなくなった。
私もライブに熱中し、聡のことはほぼ忘れていた。
ライブが終わると、二人でどこにいくでもなく、すぐに帰った。
聡とは、もう会うこともないだろうと思って、アドレスすら交換しなかった。
あれは運命だったのか。
高校を卒業した私は、バイトをしようと思い、大学への通学路にあるケーキ屋さんに応募した。
以前から目を付けていたお店で、そこのガトーショコラが美味しくて、いつかこのお店で働きたいなぁと思っていた。
「はじめまして、面接係の青森聡です。」
そこに、聡がいた。
「あ...、あの、宮田小梅です。よろしくお願いします。」
「小梅ちゃん?もしかして、○○のライブ、一緒に見に行った?」
「あ、はい、そうです!覚えててくれたんですね。」
「最初見た時はわからなかったよ。懐かしいなー。」
「そうですね。」
あとから聞いたら、やはり名前で気づいたらしい。
雑談を少しして、採用が決まった。
喫茶店も兼ねたケーキ屋さんだったから、私は主に給仕にまわった。
たくさん稼ぎたくて、授業が終わってからは、ほとんど毎日働いた。
「よく働くね。」
「はい。たくさん稼ぎたいんで。」
「そっか。」
聡もあまり他人に干渉するタイプではないから、シフトが重なっても、特別会話をすることはなかった。
ある日、お店の新作の試食会に誘われた。
「私なんかが行っていいんですか?」
「まぁね。正社員の子が行った方がいいんだけど、都合がつかないみたいで。」
「そうですか。」
「でも、僕もついてくし。ケーキの食べ放題だと思って、気軽にきていいから。」
「あ、はい。」
果たしてケーキは美味しかった。
しかし、感想をいちいち書いたり言ったりするのが面倒だった。
全体としては疲れてしまった。
「どう?疲れた?退屈?」
「あの、とっても美味しかったです。だけど、ちょっと疲れちゃいました。」
「だよね。そんなに感想聞かれても、答えられないよね。」
「はい、でも、他の方がすごく適切なことを言ってて、感心しました。」
「そう?何回もいると、また同じこと言ってんなーとか、思うようになるよ。」
「え、そうなんですか?」
「うん。ところでさ、今日まだ時間ある?」
「え、あ、ありますけど。」
「よかったら、ちょっとお店よってかない?」
「あ、はい。なんのお店ですか?」
「何でも屋」
「え?」
着いたのは、ドンキだった。
「今日のお礼。給料は別に出るけど、好きなの買っていいよ。」
「ありがとうございます。なんか申し訳ないです。」
「いや、いいって。決まったら言ってね。」
「はい。でも、何でドンキなんですか?」
「激安の殿堂」
「・・・。」
やたらコスプレを勧めたり、成人向けアイテムを物色しようとしたり、少し様子が変だった。
これもあとで聞いた話だが、聡は、私が必死にケーキについて、あることないことしゃべっていた時、隣で開催されていたワインの試飲会に、ちゃっかり参加していたらしい。
そこでちょっと飲みすぎて、軽く酔っ払っていたのだ。
そんな事情を知らない当時の私は、慌てて買うものを決めてレジに並んだ。
駅で切符を買い、さぁ帰ろうとしたとき、聡がゴソゴソとドンキの袋を開けた。
中から出てきたのは、あろうことかさっき勧めたコスプレだった。
「いつ買ったんですか。」
「意外に冷静。」
「いつ買ったんですかって聞いてるんですよ。」
「あー、ごめんね、怒ってる?」
「怒ってないです!」
「そうだね、怒ってないね。」
何がおかしいのか、くすっと笑った。
「さっきね、レジて並んでた時、隣の列で。」
「そうですか。」
「いいじゃん、これ絶対似合うと思うんだけどな。」
「着ませんから。帰りましょう。」
「せっかく買ったんだし。」
「そうですね。彼女さんにでも着せてあげてください。」
「今俺、彼女いないもん。」
「未来の彼女です。」
「ここに似合いそうな女の子がいるのになー。」
「残念でしたね。またの機会がありますよ。その時までとっておいてください。」
「ねぇ、小梅ちゃん。」
いきなり低い声で話されて、びくっとした。
「何ですか。」
「そんなにこれ着るの、嫌?」
ストレートに聞かれると、困る。
「嫌では、ないですけど。」
「ほんと?」
「でも着たくもないです。」
「嫌じゃないのなら、ぜひきて欲しいな!小梅ちゃんのために買ったんだから。」
うん、と言わざるを得ない気がした。
実際、聡は結構かわいい顔をしているのだ。おねだり上手なわけだ。
そんなに頼まれて、断る理由もない。
この一回だけ、という約束をして、聡の家にいくことにした。
聡の家は、一階が塾になっているアパートの三階だった。
部屋は、特にこれというものはなかったが、本棚があったからちらっと覗いてみると、お菓子作りの本ばかりだった。
「お菓子作りの勉強、してたんですね。」
「ん?あぁ、そうだよ。本見てていいよ。今お茶出すから。」
「いや、いいですよ。それより、さっさと着てしまいましょう。」
「え?」
「さっきの..コスプレですよ。」
「あ、うん。」
実はこの時、聡の酔いは醒めはじめていて、何してるんだろう、俺、状態だったらしい。
お茶でも飲んで、落ち着きたかったのは聡の方だったのだ。
そこでふと我に帰り、何事もなかったかのように私を送り返すつもりだったらしい。
墓穴をほったのは私の方だった。
聡の蘇りかけていた理性をぶち壊してしまった。
「えっと、俺、トイレにいるから。着替え終わったら言って。」
「はい。」
よくわからないながら、頑張って着た。似合っているのかすらわからない。
コスプレなど、高校の劇の衣装ぐらいの経験値だ。
もはや恥ずかしさすら覚えなかった。
「聡さん、着ましたよ。」
聡が私を見た瞬間、射抜くような眼差しに変わった。
そのままずっと凝視されたままだった。
「あの、聡さん?」
「あ、いや、よく似合ってる。」
「ありがとうございます。大丈夫ですか?」
「うん。」
「じゃあ私、そろそろ帰りますね。」
「待って。」
私が疑問を口にする前に、聡が言った。
「もうちょっと見ていたい。」
なかなか勇気あるセリフだ。
そして私はストレートに弱い。
「じゃああと、30分だけ。」
「なんか、出張メイドみたい。」
「営業じゃないですよ。」
「じゃあ、なんで居てくれるの?」
「帰っていいんですか?」
「だめ!ごめんごめん!」
気の向くままに雑談し、聡が作ったというお菓子を食べた。
なかなか美味しかった。
「私、ガトーショコラが好きなんですよね。」
その時、聡の表情が変わった。わずかに緊張が見えた。
「お店の?」
「はい!あれ食べたくて、入ったんですよ。」
「そうなんだ。」
ふいに、聡が視線をそらした。
「あのさ、あれ、作ったの、俺なんだ。」
「え、そうなんですか。知らなかったです。」
「うん、そう。」
やばい。もしこれで、知ってて言ったと思われたらどうしよう。
わざとらしい演技で持ち上げておいて、告白されるのを誘っているようにしかみえない。
だいたい、男の人の家に上がりこんで、コスプレまでして、お茶のんでまったりしてるなんで考えられない。
これではまるで...!
「あ、あの、一応言っておきますけど、知ってて言ったわけじゃないですからね!」
うん?というように、聡がこっちを見た。
「どういうことだ?」
私は慌てて言った。
「だって、なんか、誘ってるみたいじゃないですか。」
「誘ってる?」
「いや、その、なんというか、告白されるのを、誘ってる、みたいな。」
「小梅ちゃん...」
「何でもないです!私、帰ります!」
服を持って、着替えにトイレに向かおうとした時、スカートの裾をつかまれた。
「待って」
振りほどいて、行けばよかった。なのに、できなかった。
「おかしいと思わない?自分の行動が。」
「何か気に障るようなことしましたか。だったら、謝ります。」
「そうじゃなくて。」
聡はスカートから手を離した。それでも、私は動かなかった。
「あんなに嫌がってた、コスプレを自分から着たいとか、言い出したりして。」
「あれは!」
「ちょっと聞いて。」
「・・・はい。」
「小梅ちゃん、そんなに、誰の人の家でもついて行って、コスプレ着たりするの?」
「しないですよ!そんなこと。」
「そうなんだ、じゃあ、俺のところに来てくれたのは、特別?
それとも、気まぐれ?」
何だ、何が言いたいんだ。
「思わせぶりなこと言っておいて、帰ろうとするし。放置が好きなの?」
何言ってるか、全然わからない。これ全部、私のこと?
「いいかげん、気づきなよ。ばれてるよ?」
「な、何のことですか?」
「好きなんでしょ、俺のこと。」
いつからだろう。
聡の行動や、言うことが気になって、寝る前に思い出して、その行動の意味を勝手に解釈して、繋げていったりして。
そんなことしても、しょうがないのに。
聡は何も気づかないふりをしていたのか。
この私が、必死に押し隠そうとしていたものを。
私も、なぜ隠したりするのだろう。恥ずかしいからか。
それとも、叶わぬ恋だと思っているからか。
まぁ、どうでもいいか。
ばれてしまったのなら、もう隠すこともない。
素直に認めて、また新しく好きな人を見つけよう。
この人は、私をからかっているだけなのだから。
「もし、聡さんのことをたくさん考えて、聡さんがどんなこと思ってるのか知りたくて、それで、聡さんがこっち向いて、何かしゃべってるのをみると、なぜか幸せになってしまうこの気持ちが、好きだというなら、私は、聡さんのことが好きです。」
聡は、きょとんとした顔で私をじっと見つめたあと、ようやく言っていることがわかったのか、ゆっくり、ほほ笑んだ。
「まわりくどいなぁ。」
そして、こうやればいいんだよ、と私に手を伸ばす。
そっと抱きしめて、耳元でささやく。
「俺も、小梅ちゃんのこと、好き。」
まぶたを閉じた。
聡の体温と、鼓動を感じる。
私より少し温かくて、ゆっくりしていた。(お酒のせいだ。)
聡の匂いもした。やわらかくて、好きになれそうだ。
「知ってましたよ。」
「そう?」
私はするりと、聡から抜け出した。
「はい。だから、私を連れ込んだりしたんでしょ?」
「まぁね。でも、小梅ちゃんが僕を好きなほどではないけどね。」
「私は好きな人に、コスプレを着せる趣味はないです。」
「俺も、ストーカーまがいに小梅ちゃんのことずっと考えてたわけじゃないし。」
「じゃあ、私のこと嫌いですか?」
「小梅ちゃん…」
「嘘ですよ。」
こんなの、長く続くわけない。幸せなのは今のうちだ。
だったら、思い切り楽しんでおこう。
ケーキもたくさん作ってもらおう。そしてあわよくば、技術も盗んでおこう。
「長い縁になるか分からないですけど、どうぞよろしくお願いします。」
「こちらこそ。至らないところはあるかもしれないけど、仲良くやってこうね。」
二人は顔をそらして、なんとか相手のすきをつくことを考え始めた。
結局、似たもの同士なのだった。
フランスで、綺麗な女の人は見つかったのだろうか。
聡が、寂しくない?と、旅立つ前に聞いて来た時、私が、全く寂しくない、と答えたから、聡は、じゃあ俺は寂しくなりそうだから、フランスで金髪美人とたくさん遊んでくる、と言っていた。
「心配してくれてありがとう。でも、私より聡の好みの女の人って、いないと思うなぁ。」
「俺の好み、変わるかも。」
「私の応用範囲内だったら、変わっていいよ。」
「保証はできない。」
「じゃあ、好みが変わったら、早めに連絡してね。」
「そうする。」
聡が、ふっとほほ笑んだ。
「いっぱい連絡するよ。小梅ちゃんが俺のこと、忘れないように。」
「忘れないよ。」
「忘れちゃうよ。ライブにいった時は、すっかり忘れられた。」
「あれはまだ付き合ってなかった。」
「そうだけど、あんなことが再び起らないよう。」
「そんなに傷ついてた?」
「事故だったと信じた。」
「どんな事故だよ。」
今日もまた、ケーキ屋さんで働く。
聡がいつ帰って来てもいいように、テーブルの花はコスモスを絶やさない。
聡の、秋の好きな花だ。
チリン、と鐘がなって、お客さんが入って来た。
テーブルを拭いていた私は、顔をあげていらっしゃいませ、と言おうとした時、
「小梅ちゃん、ただいま!」
にっこり笑った、聡がいた。
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